徒然乙女

30代アメリカ駐在女子の徒然なる日常

30代 結婚に希望持てない女子の「愛の不時着」レビュー

重い生理痛と重なった週末、Netflixで韓国ドラマ「愛の不時着」をみて号泣していた。韓国でパラグライダー中に竜巻に巻き込まれて北朝鮮に不時着するトンデモ設定のロマンスコメディだ。特に目的があったわけでもなく、センスのない邦題が目に留まり、ただ何気なく再生したドラマだったが、思いのほか入り込んで、ひとりベッドで笑ったり泣いたり共感したりしていた。明日会えないかもしれない、将来のない相手に想いを伝える難しさよ。分かる、分かる。いや、私と同じにしたらユン・セリとリ・ジョンヒョクに失礼か。朝鮮半島には軍事境界線があって、世界の許されざる恋の極みみたいなものだ。将来会える可能性は下手したら一生ない。

 

 物語の中でジョンヒョクは何度か「僕が君のことを想っているから、君は幸せでいられる」というような趣旨の言葉を口にする。最初に聞いたときは、セリと同じように「でも私のそばにいないじゃない」という気持ちに切なくなって、泣いていた。だけどよくよく考えたら、”一緒にいることが幸せ”だという一般常識というか概念に騙されているのかもしれない。2組に1組が離婚するこの時代、一緒にいたって永遠に幸せでいられるとは思えない。既婚の先輩からも、家族愛と恋愛は別物だという話をよく聞く。だとしたら恋のはじまりの高揚のまま、その人が一生私のことを想ってくれているという幻想にひとりで生きた方が本気で幸せかも、なんて。いやいや、もちろん愛する人とは一緒にいたいのは当たり前なんだけど、永久に変わらないことはないわけで・・・だって一体誰がそんな風に私を想ってくれるんだろう。

 

 客観的に見ても別に変な人とばかり付き合ってきたつもりはない。だけど、そんな風に運命感じたり、一生をかけられるほどの恋愛をしたためしがない。なんとなく倦怠期が続いてしまったり、愛情が嚙みあわなかったり。よくある恋愛に飽きて、「しばらくひとりでのんびり」期間にこんなドラマを見たら、感情が良く分からない議論に踏み込んでしまった。

 

 答えの出ない問いは置いておいて、私から見て、ジョンヒョクの愛情深さを表していたなと思ったシーンは、忙しくてロクに食事をとらないセリの健康を気遣って、食料をストックしておいたりしてくれるところ。これぞ愛だわ。愛が伝わる。

 女子だって今は働くし、俺が養うとか守るとかそんな人よりも、できれば、頑張る私の健康気遣ってくれるような方と出会って穏やかに過ごしたい。